宇宙のどまんなか

遠くから見えるあの星が君だよ

入院した話

盲腸になりました。

自宅から救急搬送され即入院、翌日手術でした。わぁ急展開。

 

この先、当時の話を備忘録的に書く、自分のためだけの記事です。面白いことはありませんし汚い話もあります。

 

2月27日(火)

母の誕生日だった。それに気づいたのは仕事中だった。先輩にふとそんな話をしたら「えっ!ダメだよ忘れちゃ!帰ったらすぐおめでとう言ってあげて!?」と叱られた(同年代の大人から)夕方からイレギュラーな業務で会食に参加しなくてはならず、人見知りな私は心配していたものの、なんとか楽しく過ごすことができ、また食事も立食と落ち着かない形式ではあったもののお腹いっぱい食べて満足感の中その業務を終え帰宅の途についた。帰宅途中から少し胃の調子が良くないなと感じた。普段から胃腸が弱い自覚があったので、ああ食べ過ぎたかな、食べた後すぐ歩いたりしたのも良くなかったかな、などと考え、その不快感を持ち帰った。自宅について、会食の話を親に伝え忘れていたことに気づいた。自分の分が用意されようとしているのでいらないことを伝え、おまけに食べ過ぎて気持ち悪いんだ、てへぺろと言った感じでいつものやつだと軽く捉えていた。誕生日おめでとうと伝えた(帰ってからもしばらく忘れてた)。もう我が家は娘から親へも、親から娘へもお祝いの言葉くらいしか交わさないのでいつもの誕生日だった。

 

2月28日(水)

不快感と痛みで寝付けなかったので諦めて吐き出すことにした。しばらく続くなあ、明日は休まなきゃかなあ、と思いつつ、2、3時間ごとに起きては吐き水を飲む、起きては吐き水を飲むという行為を繰り返していた。翌朝になっても不快感と痛みは消えず、上司に体調不良で休む旨をLINEして了承を得、一日中吐き気と胃の痛みに苦しんだ。ここまで来ると食中毒を疑ったがそんなことがあれば上司もやられるはずだしなにかしら連絡が入るはずだ。もしかすると久し振りに使ったタンブラーの中が十分洗えてなくて綺麗じゃなかったなんてことは…?など、食べ過ぎてより食あたりを疑い始めていた。水は飲んでいたが吐き気は収まらず、むしろ吐くために飲むようなものであった。常備薬の胃薬は胃の働きを良くするものだったがおそらくこの不快感は胃酸過多なのでダメじゃないか、と思い、帰宅した母に胃酸を抑える薬を買って来るよう頼んだ。母はついでにカルピスウォーターも買ってきてくれた。薬を飲んだら少し落ち着いた気がした。が、こうかはばつぐんだ!とはいかず、美味しいからカルピスを飲み、また吐いた。何か無理にでも少しは食べたほうがいいのではという母がうどんを出してくれたが案の定2本、3本すするだけで無理だった。居間で横になりながらテレビから笑ってコラえてが放送中であることが音声でわかったが、とっつーが出る日だということを完全に忘れ、声が耳に入ってたくせに全く気付かずうたた寝をした。

 

3月1日(木)

やはり寝付けない。昨晩と様子が変わらない。朝になり再び私は上司に休みのLINEを入れた。買ってきてもらった胃薬は決められた通り飲みつつ午後まで過ごしたが良くならなかったため帰宅した母に病院に連れて言って欲しいと頼んだ。良くならないとはいいつつ、病院に出かけても大丈夫そうな程には吐き気は落ち着いており、続く胃痛と腸の痛みが始まっていた。病院は少し混み合っており受付を済ませてから呼ばれるまでに1時間を要した。診断を受けた結果やはり食あたりだった。しかし医師が少し判断しかねていたのが気になった。翌々日の再来院を指示されたので承諾し、処方薬をもらって帰った。待合室では帰りにプリンを買ってくれ、と頼んでいたのに、医師から何も飲まず食わずでたのむと言われたため、夢は砕けた。飲まず食わずで元気に動けるとは思えなかったので翌日も休むと上司にLINEし了承を得た。帰る頃には夕方になっていたためもらったばかりの薬を飲み大人しくしていた。ところが夜になり、痛みが強まってきた。今思えば胃が痛かったのか腸が痛かったのかはっきり記憶はないが、とにかくもう痛くて声を上げずにはいられない感じだった。母は入浴中で部屋におらず、私はスマホを手に取り119を押していた。押す前の葛藤は確かにあった。もう少し耐えれば痛みが落ち着くかもしれない?せめて母が戻ってからにしようか?しかしこの勢いを止めたら後で後悔すると私の直感がそう告げたのだ。電話をしてどのくらいで来るのだろう、ここは辺鄙なところだから時間がかかるだろうなあ、と思いつつ痛みながら待っていたら救急車が家の前に着いた。と同時に母が部屋に戻ってきた。母は娘が自分で救急車を呼んだことと、風呂上がりなのに家に人が入って来ることにも慌てなければならなかった。保険証を求められた私は2階の自室に取りに歩くなどの動きはできた。無理をしてでも病院でこの痛みをなんとかして欲しかった。自分の足で救急車の担架に寝転がり痛みに呻く。救急隊員はいろいろなことを聞いて来るが割と私はちゃんと答えていたと思う。無理をしてでも病院で(ry そのうち息が上がり手足が震え出して来る自分が怖かった。救急隊員は過換気だから深呼吸してくださいねーと声をかける。あ、過呼吸ってこんな風になるんだ、怖。と思った。救急外来に運ばれた私は点滴などいろいろと処置を受け、救急車の中でも話したような経緯を再び聞かれるたびに話した。食あたりの診断を受けていたのですっかりその頭でいたが消化器科の先生が虫垂炎つまり盲腸を疑い始めた。今外科の先生呼ぶので待っててくださいねーと声をかけられ、痛みに悶えながら返事をしたものの、内心は早くしてくれ!の一心だった。徐々に点滴による痛み止めが効果を表してくれ、落ち着いて横になることができた。待ちに待った外科の先生が現れた時は神様に見えた。やはりその線が濃いが判断が難しいとのことでレントゲンやCTなどの検査を行うことになった。どのみち痛みはひどいのでこのまま入院という話だった。

 

3月2日(金)

検査を終えたあと、ちょっと判断が難しいという見解はそのままにとりあえず食あたりではなさそうだから、ということで外科の病室へ運ばれた。落ち着いた頃合いに私と母は現状の説明を先生から聞いた。虫垂炎だとしたら、手術が一番早いです、傷は最小限で済みます、ただし中の様子がひどい場合は開腹に切り替えます。等々。あらかたの説明を受け、翌朝もう一度検査を受けてからより確定材料が揃った後で手術に踏み切ることに決まった。私自身、手術は怖くなかった。先生が未婚かどうかを聞いたので未婚だと答えた。先生から未婚の女性のお腹に無駄な傷を作らないための配慮を感じたが、私はすぐ治るなら別にいいみたいな軽い考えでいた。今思えばそれほどに痛くて辛かったのだと思う。朝、救急搬送され入院、本日手術予定ということを上司にLINEし、自分の業務を振ってもらうよう頼んだ。代わりに請け負ってくれる先輩からもLINEが来たので詫びてお願いした。検査を受けて、虫垂炎との診断に確信を持てたこと、かつ、前日夜より結果が良くないことを踏まえ、予定通り手術が行われることとなった。検査が終わる時間に合わせて母と父が来てくれた。おお父久しぶり、と思った。(昨日の朝会ってるけど間に色々ありすぎた) 手術は腹腔鏡手術というやつで、お腹を小さく切ってカメラを入れて道具を入れる穴も開けてカメラで中を見ながら行う方式とのこと。全身麻酔なので寝て起きたら終わってますからと言われていた。手術室まで運ばれて、じゃあ麻酔の点滴を入れますねーと言われた直後からもう記憶はない。目が覚めたら病室で、まだぼんやりしている。父と母から手術は成功したこと、中は結構大変なことになっていたこと、開腹しようか迷ったけど未婚ということで開腹せず頑張ってくれたらしいということ、あと少し遅れていたら腹膜炎に進行していただろうということ、あの状態でよく自分で救急車を呼ぶ余裕がありましたねと言っていたことを教えてくれた。私は全く動けずベッドで寝ていた。河合くんが出演するよんぱちは、15時くらいから聴くことができた。(母がイヤホンを持ってきてくれていたことに大感謝した) 苦難を乗り越えて聴いた河合くんの声には感動すら覚えた。

 

3月3日(土)

午前中、病室を大部屋に移動した。同室の皆さんとはあまり顔を合わせていないが年代がかなり上の方ばかりのようだし、気をつかうのも疲れるなと思い、個人プレーで行くことにした。とりあえず12時からのA.B.C-Z Go! Go! 5には間に合ったので1人でゆっくり聴くことができた。あれ?休日引きこもりの自分には入院生活も普段の休日とさほど変わらないのでは?と思えてきた。とはいえテレビが自由に見られないので、本を読みたいと思い自宅の『コインロッカー・ベイビーズ』文庫本の在り処を示して持ってきてもらうよう母に頼んだ。しかし母はそのLINEに気づかずこちらに来たようで、頼んだ品はなかった。母が病院側から聞いたことや自身の入院経験などを踏まえ過ごし方をいろいろとアドバイスしてくれた。心強かった。売店に付き添ってもらうと本や雑誌も売っていたのでとりあえず一冊買おうと少ないラインナップを吟味して『嘘を愛する女』を買った。映画が気になっていたところなのでちょうど良かった。夜になり喉が詰まるような感覚に苦しんだ。全身麻酔時の人工呼吸器を装着すると喉に少し違和感が残ることがあると手術前に聞いていた。痰が絡んだような感じで、咳をして痰を切りたいのだが、腹の傷が痛むので強く咳ができない。弱々しい咳と喉の不快感でこの日はなかなか眠るのに苦労した。

 

3月4日(日)

術後からずっと水しか摂取を許されておらず空腹感に襲われた。しかも大部屋の他の方々の食事時間には和やかに今日のおかずなどを会話しながら食べるのが聞こえるのでメニューまでわかってしまう。おいしそう…たべたい…おなかすいた…と思いながら過ごすちょっと辛い時間だった。回診で主治医ではない先生(おそらく一緒に手術してくださった)からも、あの状態でよく自力で救急車を呼んだなと思いました、と言われた。生理痛があることは手術前に伝えていたので、その痛みを経験してる分強かったのかな?と推測されていた。明日の昼からおそらく食べられると教えてもらい、よかったーおなかすいてるんですよ、と伝えたら、元気な証拠ですと言われた。どうやら順調らしい。午前中のうちに昨日買った本は読み終わった。水も欲しかったのでまた売店に行き、本棚を見ていたら、『バイバイ、ブラックバード』があった。あの戸塚祥太が崇拝する作家、伊坂幸太郎の作品にして、つい先日からWOWOWでドラマが放映されているという、あの作品だ。ちなみに戸塚さんが最終話となる第6回、3月24日の放送に登場するのでよろしくお願いします。迷わず買った。昨日依頼したものを持って母がまた来てくれた。テレビ用イヤホンがなく、おばあちゃんちにたくさんあるよ、と言っていたので買わずにいたが、結局売店で買ってきてくれたらしい。コイベビ文庫本も今回はしっかり持ってきてくれた。時間的にちょうどKinKi Kidsのブンブブーンが始まる頃だったので、あらかじめ買っておいたテレビカードを差し込みこの入院生活初のテレビONをした。片耳だけのイヤホンを私が使い、母は隣で無音状態の中、2人でブンブブーンを見た。母が帰ったあと、塚ちゃんが出演するみんなのKEIBAを見ておうまさんきれいねと思ったり、本を読んだりした。どちらの本にしようか少し悩んだが読みかけだったコイベビにした(再読中である) 夜のゴールデンタイムにはまたテレビを見た。アメトークをイヤホンで見てるのに一人でハッ、と笑うことが時折あり、ちょっと恥ずかしかった。昨日息苦しさと戦った夜が来た。しかし今夜はマスクを用意したのだ。効果は少しあったようで、前日よりはるかに快適に眠ることができた。

 

3月5日(月)

徐々に生活リズムを覚えて来たので意外とストレスも感じずにいられている。やっぱりいつもの休日と変わらな(ry 午前中、3日間放置された頭を洗いたいと看護師にお願いし、洗髪をしてもらった。タオルでガシガシに拭いてくれるので内心キューティクルが死ぬと思っていたがそんなことは言ってられないのである。洗ってくれてありがとう看護師さん。昼から待望の食事が出された。おかゆだけが来るのかと思っていたらおかずもしっかりついてきた。正直ペコペコだったのでいつものペースだったら完食できたと思うが、実に6日ぶりのまともな食事である。元々胃腸を壊しがちな私は数日間食べられなかったあとの食事には気をつけなければいけないことは心得ていたつもりなので、ゆっくりよく噛んで食べ、腹八分目でやめておいた。最初に口にした、塩を入れる前の五分粥でさえ、この時の私には素晴らしいご馳走だった。ひとくち口に含み、その美味しさに体を震わせた。喉の具合がなかなか良くならないのでせめてのど飴を舐めたいと思った。看護師さんに確認したところ飴・ガム・ジュースの許しが出た。早速売店でフルーツのど飴とりんごジュースを買った。りんごジュースがめちゃくちゃうまかった。そうこうしていると夕食の時間だ。全然おなかすいてないし。そう思いつつ食べたが、全然美味しくなかった。素晴らしいご馳走が味気ない病院食へと姿を変えるのがあまりにも早い。ちなみに夕食についていたデザートがりんごゼリーだった。美味しくいただいた。

 

3月6日(火)

あまり眠れない夜だった。それでも夢を見たのは覚えている。河合くんが出てきた幸せな夢だった 。起床時間になり、起き上がるとここ数日が嘘のように体が軽い。寝不足も感じない。私は回復を実感した。シャワーに入って良いことになった。4日ぶりに全身を洗い流すことができ、スッキリした。午後、会社の人が来たが通して良いかと確認された。誰が来たのかわからず緊張したが、私の仕事を引き取ってくれた先輩だった。久しぶりの来客に私は今回の一部始終を改めて話した。先輩もいない間の会社でのことを話してくれ、元気そうだったと上司にも伝えると言って帰って行った。わざわざ見舞いに来てくれてありがたいと思った。夕方の回診で先生に、問題なさそうなので退院していいと言われた。終わりが見えた。

 

3月7日(水)

午前中の回診にて退院の日も決まり、ここで寝るのはこの日が最後となった。退屈ではあるが想像よりも快適に過ごすことができ、やはりベッドの上でゴロゴロ、何もしない生活は私に向いてるなと思った(クズ)。母に迎えの日時を連絡し、あとは明日を待つのみとなった。

 

3月8日(木)

退院の日。運ばれたのが先週の木曜夜なので、本当に丸1週間、入院していたことになる。長いようで短かった。特におもしろいことはないがスマホと本とテレビがあったので家とさほど変わらない過ごし方ができた。とはいえやはり体力低下が職場復帰に影響しないか不安なので、帰ってもなるべく横になるのはやめようと思う。手術後からずっとお腹に「腹帯(ふくたい)」をずっとしていて、痛くなければもう必要はないらしいのだが、外すと落ち着かなくなっているのでもうしばらく巻きつけておこうと思う。

 

こうして私の1週間が過ぎた。今後は無理せず徐々に日常の私に戻っていく作業だ。気持ちはもう元気なのだが、体は本調子とは行かず、調子に乗って動きすぎるとまだ良くないらしい。仕事はどうせ座り仕事なのですぐに復帰する予定だ。働かないとキクに会えない。